巨匠カザルスの高弟であり、かつ、その後継者としてわが国が世界に誇るチェリスト、作曲家。 ”Who's Who in the World”(欧米版「世界紳士録」)に載る数少ない日本人の一人。 1937年8月28日、平井康三郎の長男として東京に生まれ、小学校時代すでにピアノ協奏曲ほか100曲を作曲し、ピアノで演奏会、放送にしばしば出演。 桐朋学園でチェロを斎藤秀雄氏に師事。第23回音楽コンクール第1位特賞、第1回文化放送音楽賞特賞、第1回カザルス国際コンクール特別賞、ソ連作曲家同盟特別賞など、数々の内外コンクールで受賞。 1957年より5年間、世紀の巨匠パブロ・カザルスに師事。師とともに欧米各地を楽旅し、研鑽を積み、チェロ音楽の蘊奥を究めた。 1961年4月、巨匠カザルスは愛弟子の晴れの帰国デビューを飾るため特に来日し、平井丈一朗は恩師の指揮により、東京と京都でドヴォルザークなど四大協奏曲を演奏。皇太子・美智子妃殿下(当時)のご来賓を得て華々しくデビュー。以来、ソリストとしての演奏活動は全世界40カ国にも及び、至るところで輝かしい成功を収めている。 1976年、ニューヨークの国連シンフォニー協会の要請により、レナード・バーンスタイン、クラウディオ・アラウ、ラヴィ・シャンカールらと共に同協会国際顧問となる。 1979年、演奏生活25周年を記念して、自らオーケストラを指揮しながら三大チェロ協奏曲を演奏するという、世界でも例のないコンサートを開催。 1980年以来、外務省及び国際交流基金の派遣により、日本国芸術使節として中南米7カ国(メキシコ、パナマ、ペルー、チリ、パラグアイ、アルゼンチン、ブラジル)並びに、東南アジア3カ国(タイ、インドネシア、フィリピン)を歴訪、各地でリサイタル、協奏曲、公開講座、テレビ出演などを行い熱狂的な歓迎を受ける。また、フィリピンのアキノ元大統領を始め、元首、王族、閣僚級の人々とも親しく会見、友好を深めた。 1988年1月、皇太子徳仁殿下をお迎えし、自作「イスラ・ヴェルデの詩」を含むユニークなリサイタルを開催。同年6月には、アメリカ・ワシントンDCで開かれた第1回世界チェロ大会に、ナンシー・レーガン大統領夫人(当時)より招待を受け、特別ゲストとしてオープニングコンサートで演奏し、多大の感銘を与える。 1989年、メキシコ、ニューヨークを中心に数多くのリサイタル、テレビ、ラジオ出演を行い、特にニューヨークでは1ヶ月前にチケットが売り切れになるなど大きな反響を呼んだ。 1990年、スペイン、フランス、イタリア演奏旅行。また、地中海マジョルカ島でのジュリアード国際音楽サマースクールには主席客員教授として招かれ、更にワシントンDC国立ケネディー・センターの全面招聘による米国公演で圧倒的賞賛を浴びた。 1993年、皇太子殿下のご結婚を祝し作曲した「祝典序曲」(チェロ独奏とオーケストラ)が、ご成婚当日、自作自演により日本テレビ系特別番組で放送され、全国の視聴者の感動を呼ぶ。一方、米国においては芸術監督としてヴァージニアの夏の国際音楽祭を成功に導き、またこの間、スリランカへ演奏旅行し大歓迎される。 1995年春、ポーランド各地を楽旅。リサイタル、マスタークラスに加え、ヴィウコミルスキ国際チェロ・コンクールの名誉審査員を務める。また、「平井丈一朗アウシュビッツ・コンサート」では、満員の会場が深い感動の渦に包まれた。 最近ではチェコ、ポルトガル、あるいはマレーシアへも活動を拡げるなか、作曲にも力を注ぎ、既にチェロ作品として定評のある「ラティーナ」、「北斎」、「イスラ・ヴェルデの詩」をはじめ、管弦楽曲、ピアノ曲、歌曲、合唱曲など幅広いジャンルに特筆すべき業績を残している。 国連シンフォニー協会国際顧問、米国キャピタル音楽協会チェアマン、国内では詩と音楽の会会長、日本音楽作家団体協議会(FCA)理事なども務めている。 資料/平井丈一朗マティネーリサイタル(200.1.16)チラシより |
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